サムライを体現するスポーツなら日本の剣道

当サイトのコンセプト

剣道をやってみる

 

当サイトは、剣道を習い始めようとする、あるいは、始めて間もない小学生児童や中学生徒、あるいは、その保護者の方のために、剣道に関する情報をまとめてみました。

 

剣道は一部のマニアだけのものではなく、近寄り難いものでもありません。剣の道をルール化し、剣の技を体系化し、いわばサムライをスポーツ化して現代に具現化した日本の誇りあるスポーツです。

 

習いたての小学生や中学生やその保護者の方にも分かりやすいよう、噛み砕いて解説しています。

 

剣道を武道として、さらに学校の部活として捉えた説明や、なじみのない防具の解説、さらに費用、ケガなどの気になる部分を、他のスポーツと比較するなど、多少はお役に立てるものと思います。

 

当サイトの管理人としては剣道の経験は少ないですが、10年以上の経験があり、高校では強豪校の主将を務めた弟からの話を元にしており、現役で稽古をしている子供の話も交えながら記事をまとめました。さらにDVD教材から学んだものを一部伝えております。

 

こだわった点としては、初心者の目線で剣道というものを体系付けることと、防具などの不安要素や疑問点について、多くの情報を提供することです。


ヘッダー画像の和歌について

天野昌威先生剣道八段審査合格記念手ぬぐい

 

当サイトのヘッダー画像となっているのは、福岡県では有名な天野昌威先生が、昭和55年(1980年)に、剣道では最高位の範士八段に合格した時の記念の手ぬぐいです。

 

 

手ぬぐいに書いてある和歌について

 

 「うつるとも月は思はずうつすとも水も思はぬ猿沢の池」

 

これは、塚原卜伝(つかはらぼくでん)の「映るとも月も思はず映すとも水も思はぬ広沢の池」に似てますが、どういう経緯で作られたものなのか、分かりません。柳生家が子弟に遺した秘剣の一歌にも、似たような意味の歌があるようです。

 

歌の背景は、奈良興福寺の猿沢の池で、池に映る月の姿を見て、人の係わりの極意を悟った歌です。

 

意味は、月は自分の姿が池の水面に映っているとは思っていないし、また、池の水も月の姿を映すとも思っていない。双方とも意識はしていないが、結果的に水面に月の姿は映っている、ということです。

 

教訓としては、「人は、私心を捨て、謙虚な姿勢で、無心になって自分を磨けば、良い影響がお互いに感化し合い、良い人間関係を築くことができる。」というものだと解釈してます。

 

 

剣道という武道が、人を殺傷する武器としての刀を使うサムライにつながるものとして、剣道そのものを、あるいは、剣道は興味あるけどサムライという言葉や概念を忌み嫌う方がいますが、それは、ケガレから来るものかもしれません。刀にケガレを感じ、殺傷から生じる血も、人を殺める罪も、殺傷を生業とするサムライの存在をもケガレを感じるなど。

 

幕末藩士としての坂本龍馬に魅力は感じるが、剣術氏としての龍馬にはケガレを感じるようなものです。現代の法律や常識で見てはいけないと思います。ケガレを感じる刀に目をやるのではなく、志の方に思いをはせていただきたいと思います。

 

鍋島藩の藩士 山本常朝(やまもとじょうちょう)が書いた「葉隠」には、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」という有名な文章があります。

 

これは、「生きるか死ぬかの時は死を選べ」という表面的な解釈ではなく、個人的には、「いざという時には、己の死を活かし、自分が犠牲になって他を生かす」とか、「己(私心)を捨てよ」とか、「ただ生きずに善く生きよ」とか、「謙虚に振る舞え」などのように解釈します。

 

「無駄に死ね」という叫びどころか、むしろ「死にもの狂いで必死に生きよ」とさえ聞こえます。

 

「オレがオレが」というエゴではなく、猿沢池の和歌における月や水のように、「謙虚さを持って心を磨く」ことによって、人が見て美しいと思う立ち居振る舞いや人生となるものと私も信じています。

 

日本における現代スポーツや武道において、武士道は随所に生きており、その精神が実践されてます。正々堂々と、ルールに則り、敗者にも勇敢さを称え、礼に始まり礼に終わる。そのため、武士道の精神を実践してきた象徴として、サムライに誇りを感じる人も多いことは事実です。ナショナルチームの一員として武器を持たない戦争となりがちなスポーツだからこそ、日本人が誇りにしてきた武士道の精神を取り込むことは悪くはないと思います。

 

武士道が日本人を作ったのではなく、日本人だから武士道ができたのだと思います。猿沢池で、月や水の謙虚に鍛錬する姿に感動し、それに価値を見出す日本人だからこそ、それを剣術においても心得としたい天野先生のような方がいるのです。

 

剣道を究めることは武士道を究めること。武士道を究めることは日本人としての道徳を高めることになるということです。

 

日本人としての道徳を高めるのは、日本人の延長であるサムライだけではなく、日本人なのです。

 

この手ぬぐいにしたためた和歌を通して、剣士として、また、人としての心得を、天野先生自らが謙虚に実践されてきて、人にも伝えたかったのではないかと信じています。

 

 


 
 

 
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